熱気球からの眺め:墓地





ブラジル マリンガ市

様々な国を熱気球に乗って眺めていると、ふと意外なものに出会うことがある。

日本の真裏に位置するブラジル。
首都サンパウロから南西に600km離れた小さな都市、マリンガを飛んでみた。
高さ120mもあるカテドラル(キリスト教の大聖堂)を中心に、放射状に街が形成される眺めはヨーロッパのイメージに近い。
巨大なカテドラルを飛び越え、高度を下げるといきなり広場が現れ、視界が広がった。
上空から見ると、電気屋の店先に並んだ携帯電話を連想させるように、同じ大きさの石が整然と並んでいる。
墓地だ。
一番最初に感じたのは、その美しさだ。
殆どの墓石に生花が添えられており、まるで花畑のような美しさに目を奪われる。
手入れの行き届いた赤土の大地には、ゴミ一つ落ちてはいない。
シフトレンズの付いたカメラに持ち変え、一つの墓石に手動でピントを合わせ、シャッターを切った。
おっと、バーナーを炊かないと気球が墜落してしまう。
適度にバーナーを炊いて、気球を安定させ、さらに数カットを切った。
ゆっくりとした風に流され、墓地を外れると街の騒音が耳に入り、初めて墓地上空の静寂に気が付いた。
神聖な場所にふさわしい静かな空間の余韻に未練を感じ、バーナーを炊き込んで高度を上げ、後ろ髪を引かれる思いで、さらにシャッターを切るが、そこには求めていた静寂は存在しなかった。
神聖な空間はごく小さな空間にのみ存在しているらしい。


タイ カンジャナブリ

タイ カンジャナブリといっても、ご存じに方は少ないのではないだろうか。
昔、日本軍が物資を運ぶために、強行に橋を作り列車を通した。
連合群は、日本軍の生命線を絶つために、クワイ川に架かる橋を爆破するミッションを敢行した。
これが、ウィリアム・ホールデン主演の米映画「戦場にかける橋」である。
このクワイ川(現地ではクエーリバー)にかかるクワイリバーブリッジを熱気球で越えに行った。
列車の通過に合わせて、絶妙なタイミングで熱気球を離陸させる。
クワイリバーブリッジを通過する列車を上空から撮影し、今回の旅の目的の一つをクリアできたことで、肩の荷が軽くなった。
熱気球を、高度20m程度まで下げて、カンジャナブリの街をゆっくりと飛んで行く。
カンジャナブリを熱気球が飛ぶのは初めてらしい。
子供も大人も犬までも外へ飛び出し、笑顔で手を振ってくれる。(犬はシッポ)
上空からサワディー クラップ カー(こんにちは!)と声をかける。
スクーターやバイクに乗って追いかけてくる人達も多い。
みな、上を見ながら走るので、交通事故にならないかハラハラしてしまうが、みんな笑顔で追いかけて来てくれる。
笑顔は最高の被写体だ。

地上との対話を楽しみながら、暫く低空で飛ぶと手入れの行き届いた芝生に墓石が並んでいた。
しかし、どうも雰囲気がタイらしくない。
後から調べると、日本軍の捕虜として、過酷な労働に従事させられ、亡くなった連合軍兵士の墓だという。
異国の地で無念の死を遂げた兵士達の墓は、その歴史的な背景に反して明るい日差しの中に整然と並んでいた。

ふと、タイ人の墓を見てみたくなった。
聞いてみると、タイ人には墓を持たないという。
タイ人は亡くなると火葬し海に撒くらしい。
海が近くに無い、山岳民族などは灰を川へ流すことで海へ導くのだという。
タイ人にとって、死は絶対的な終焉ではなく、素晴らしい世界への旅立ちを意味するらしい。
なんだか、タイ人らしいと思う。

翌早朝も熱気球でカンジャナブリを空中から散策。
カンジャナブリのメインストリートに食料や雑貨を満載したサイドカーやリヤカーが集まることで市場ができあがる。
無秩序に並んでいる店の数も多いが買い物客の数も多く、ごった返しているが、みんな楽しそうだ。
200mほど高度を上げると、適度な風の流れがあった。
カンジャナブリ郊外まで気球を飛ばして行く。
景色は密集した街からまばらな住宅地に変わり、やがて広大な水田地帯が眼下に広がってきた。
田んぼの畦道に、背の高いヤシの木が生えている。
日本人にはかなり違和感のある景色だが、それはそれで美しい。
延々と続く田んぼを飛んで行くと、水田に浮かぶ島のような小山が近づいてきた。
タイに住む中国人の墓だ。
墓を持たぬタイ人に対して、中国人の墓は豪華だ。
装飾が施された墓石は大きく、個人の墓ではなく一族の墓なのだろうか。
広大な水田の中にポツンと作られた中国風の墓にはタイに住みながらも華僑民族として生きる、中国人の誇りを感じる。


モンゴル 遊牧民の墓

広大な緑のモンゴル草原というイメージを持ってモンゴルへ行くと、少々思っていたものとは異なるかもしれない。
草原というよりは、砂漠にペンペン草が生えている程度。
だから、遊牧民は少ない草を家畜が根まで食い尽くし、完全な砂漠とならぬよう、移動を繰り返し遊牧して行く。
住所不定の遊牧民ゆえ、墓は石を置くだけの簡単なものらしい。
私がモンゴルを熱気球で飛んでいて見つけた墓は、中央に大きな石を据え、周囲に石を並べた簡単な作りだが、規模は大きい。
近くにあるウインドウルシレット村で、それなりの地位にいた人なのだろうか・・・などと勝手に推測したりする。


アラスカ 永久凍土の十字架

シアトル、アンカレッジを経由してフェアバンクスへ入り、4人乗りの小さなセスナ402に乗り換え、小さな村を14カ所ほど訪ねてみた。
その内の幾つかの村は陸路の無い完全な陸の孤島で、軽飛行機で運ばれる物資が唯一、外界との接点となる。
一番小さな村は人口35人で、その内、高校生までの子供達が16人という。
着陸して10分程度しか経っていないのに、小学生くらいの子供が自転車でやってきてひと言、「アキオかい?」
「どうして、名前を知っているの?」と聞くと、逆に不思議そうな顔をして、「みんな知っているよ」と言う。
たぶん、この町にやってきた日本人は、何人もいないのだろう。
永久凍土の有る地域ではアスファルトの道路を作っても、道路が熱を持ち陥没してしまうため、車を使わずに4輪のバギーに乗って移動する。
場所によっては渡り廊下のような木道が幹線道路で、自動車は通れずバギーのみしか走れない。
体がむき出しの乗り物では僅かな距離でもものすごく寒い。
家も高床式で地面に直接建てずに、風通しを良くすることで永久凍土を保持しようとしているが、場所によっては速いペースで傾いて行くので、木製の楔を土台の間に打ち込むことで、家の水平を保って行かねばならない。
そんなアラスカ故、協会に隣接する墓地の十字架はどれも大きく傾き、真っ直ぐに立っている十字架は見当たらない。
僅か数十人しか住まない村に、傾いた十字架が沢山並んでいる。
マイナス30度の吹雪の中、暫く、十字架を眺めていると、風の音に混じって足音が聞こえてきた。
振り返ると、8歳前後の女の子とふたつ位歳下の弟の兄弟が走ってくる。
満面の笑顔で私の所までくると、カメラを指さして、撮ってくれという。
撮った写真をデジカメの画面で見せると、二人とも大喜びする。
好奇心旺盛な彼らは、なかなか新しいオモチャと遊び相手を放してくれない。
結局一時間以上、墓地の中で彼らと遊んで別れた。
振り返ると、彼らは多くの十字架に囲まれて、走ってきたときと同じ笑顔で手を振っていました。

特にお墓への興味があった訳ではないのですが、ささやかな好奇心によって、自然に墓地の写真が集まってきました。
そして、その一枚一枚に思い出が重なってきました。
異文化を空から覗く事で感じることの出来る「かすかなふれあい」を大事に、これからも世界の空から撮影していきたいと思います。

航空写真家 八戸耀生