海外風船撮影紀行 (タイ編)



カンジャナブリのクワイリバーブリッジを飛び越えるお話

タイタイのカンジャナブリといっても、ご存じに方は少ないのではないだろうか。
昔、日本軍が物資を運ぶために、強行に橋を作り列車を通した。
連合群は、日本軍の生命線を絶つために、クワイ川に架かる橋を爆破するミッションを敢行した。
これが、ウィリアム・ホールデン主演の米映画「戦場にかける橋」である。
このクワイ(現地ではクエー、タイ語でクワイは男性のシンボルを言うらしい)川にかかるクワイリバーブリッジを気球で越えに行った。
気球大会ではなく、あくまでもタイチームに誘われたプライベートフライト。
映画で見たクワイ川は渓谷に架かる趣のある橋だったが、実際は川までの高さも低く、どこにでもある普通の鉄橋である。
札幌時計台級の「三大がっかり名所」みたいで、なんだか裏切られた気もするが、タイ人の中には、去年までは行ってみたい観光地ナンバーワンなのだという。(今は2番になってしまったらしいが。)
まずはタイチームの用意してくれたフィールドから離陸するものの、クワイ橋は遙か遠くである。
これでは、来た甲斐がないと、自分達だけで橋の近くの空き地を探しだした。
問題は、列車の走っていない鉄橋を撮っても今一つさえないこと。
ここは、列車が通る鉄橋を絶妙なタイミングで捉えたい。
しかし、それは無理なお話。
気球でタイミング良く列車を捉えるのは、あり得ないくらい難しいのに、ここはタイ。列車が時間通り来るわけがない。(実際、日によっては40分も遅れた)
そこで、タイ人達と作戦会議。
どうしたら良いだろうと相談すると、大丈夫!問題ないよという感じ。
要するに、列車を橋の上で止めちゃおうという、日本ではお縄モンの密談が始まった。
金で解決できるかという、傲慢日本人らしい要求に、彼らは議論に議論を尽くした上で回答を出してきた。
「500バーツで、5分は止められる!」
電子とは言えぬ、電池計算機程度の私の頭はフル回転で日本円に換算する。
「なんで、1500円なんだよ〜」
「こんなことで、問題にならないのだろうか?」すっかり弱腰になって聞いてみると、「列車が止まれば観光客は喜ぶし、運転手は小遣いもらえて大喜び。誰にも迷惑かけないしみんなハッピィだろ」
「ですよねぇ!」とはさすがに言えず、不安になっていく中、彼らはどんどん話を進めて行き、とりあえず、手は尽くしてみるよ。といって会議は終了。
「どうなるんだろう」と思いつつ。どうにかなるさ!とタイ人になり切り、思考放棄して就寝。
翌朝、予定通り橋の袂の空き地でインフレ(気球を膨らませる作業)を開始すると、鉄道職員がやってきた。
線路の近くでのインフレだったので、これはクレームになるかと思いきや、通過の5分前に笛を吹いて合図をくれるとのこと、他にもいろいろ協力を申し出てくれた。
どうも、昨日の密談の後、彼らは様々な方法で手を尽くしてくれたらしい。
では、昨日の500バーツは、からかわれたのだろうか。
いやいや、あれはあれで絶対本気だったハズ。
最後には辻褄を合わせてくれるタイ人、おそるべし。
おかげさまで、列車を止めるという暴挙にでることなく、列車の走るクワイリバーブリッジを上空から撮ることができました。


チェイスドライバーの「町長落選のオヤジ」と竜巻の話

タイ語の発音は難しい。
何度聞いても、発音も覚えることが出来ないので、とりあえず、町長に立候補して落選したことで、彼の名を「町長落選のオヤジ」と呼ぶ。略して以下「オヤジ」
今回のカンジャナブリで、トラックの運転手をしてくれたオヤジにはすっかり世話になった。
朝、ホテルまで迎えに来てくれたオヤジのトラックに気球一式を乗せ、意気揚々とセッティングに入る。
何機か飛んで行くのを見送り、列車の時間に合わせてインフレを開始した。
立ち上げて、暫く待つものの列車は一向に来る気配がない。
煙草の煙が真っ直ぐに上がって行くのを眺めながら、暫くまったりと過ごしていると、突然、何の前触れもなく突風が吹いた。v 気球はオヤジのトラックを目指して加速し、止めようと近付いたオヤジを突き飛ばし、フェンダーに激突。
それでも止まらない気球は、車を乗り越えフロントガラスをジャンプ台に見立てて飛び上がり、一気に車と繋いでいた長めのロープをピンと張り、次の瞬間、オヤジの転がっているすぐ横の地面にゴンドラが叩きつけられた。
乗っている私たちは、振り落とされないように、つかまっていることしかできない。
友人がタイ語でオヤジに「退けろ!」と叫んだが、オヤジは腰を抜かして全く動けない。
気球は激しく上下を3回ほど繰り返した後、何も無かったように地上に静止した。
オヤジを見ると、ビックリした顔で仰向けにひっくり返っており、その先にはウインカーが割れ、フェンダーがグチャグチャに潰れたオヤジの車がある。
タイ語の話せる友人が、「怪我はないか?」と声を掛けて、オヤジはようやく現世に帰った様子。
とりあえず、車は走れそうなので、「必ず修理はするから」と伝えて貰い、即離陸した。
多少、気流に乱れはあったものの、普通に飛んで田んぼの畦道に着陸した。
その後、修理工場で見積もりを取って貰った。オヤジが値切ってくれたこともあり、板金塗装と新しいウインカーに交換して、2000バーツ(約6000円)で修理できるらしい。
日本なら、割ったウインカーの部品台にもならない。
その後、オヤジの腰が痛そうなので、大丈夫かと聞くとオヤジの友人が、オヤジの武勇伝を披露してくれた。
以前、オヤジの浮気を知った奥さんが、ピストルを持ち出し、太いコンクリートの柱を盾にして必死に逃げ回るオヤジを、奥さんは数メートルの至近距離で乱射したそうな。
オヤジ曰く、「気球で死ぬことはないが、嫁さんは危ねぇ」
小心者なのか、大物なのか最後まで良くわからないオヤジである。
私の、ズボンのポケットに穴が開き、携帯を着陸地に落としたときも、オヤジは電話をかけまくり、人海戦術で探し出してくれた。
顔は広く信望もあるようだ・・・が町長選には破れた。


オヤジの使用人の若いタイ人の話

一度だけ、オヤジが大幅に遅れてきたことがある。
前日の夕方、オヤジが忙しくて来れない代わりに若いタイ人が来てくれた。
結局、風が強くてキャンセルとなったが、一日分を現金で渡すと、彼はその金で速攻飲みに行き、酔いつぶれるまで飲んだらしい。
勿論、オヤジに渡すべき金なのだが、1500バーツという纏まった金を見たとたんに我慢できなくなったらしい。
彼が来ないと連絡を貰ったオヤジは彼を捜し出し、トラックを回収してやってきてくれた。
でも、オヤジの金を使い込んでいるのに、オヤジにすぐに見つかるところで飲んでいるのが大笑い。


タイ空港占拠クーデターのお話。

カンジャナブリの前にタイに来たのは、パタヤバルーンフェスタのときである。 このときは、反政府の人達が空港を占拠ししたときと重なり、我々は間一髪で空港を抜け出すことが出来たが、遅れた人達は何十時間も空港に閉じこめられたらしい。
フランスチームは、40時間後に疲れきって到着した。
空港からダウンタウンまで(かなり遠い)スーツケースを引きずって歩いている日本人旅行者がいたらしいが、空港を出れただけでも、まだ良い方かもしれない。
イミグレーションを通過できなかった人達は、不法入国にならぬように空港のハンガーからイミグレーションカウンターの間に、多くの人達が閉じこめられたらしい。
駅が爆破されて死者が出たなどと情報はいろいろ入ってくるものの、とりあえず、バンコクから離れてしまえば気分は南国リゾート。
帰りの飛行機には乗れそうもないが、考えても仕方がないので諦め、紛争が収まるまで待つことにした。

ちなみに、反政府側は黄色のTシャツ、現政府側は赤いTシャツを着ることで同士の証としている。 くれぐれも、赤と黄色のシャツは着ないようにと言われた。
「もし着たら?」
「対抗勢力の人達に、いきなり襲われるかもしれない。」
「赤と黄色の混ざった服は?」
「両方から殴られる」
・・・・・ホントか?


パタヤバルーンフェスタ、大会前日の夜間飛行のお話

パタヤの気球大会は最高にアバウトでとても楽しい。
なにがアバウトかというと、今年の場合、あるかどうかが間際まで良く解らなかった。
まず、一日目、インフォメーションでは送った気球を受け取り、セッティングとなっていたが、「飛びたいか?」との一声に「勿論!」と即答。
しかし、充填に出したプロパンのボンベが戻ってこない。
日没まで、あまり時間がない。
まずは、離陸地へ移動し、セッティングしながらボンベを待つことになった。
セッティングが丁度終わったタイミングでボンベが届き、慌ただしくゴンドラに積み込み、気球を立ち上げた。
かなり暗くなってきたが、風下(進行方向)には車の窓から見た限り何もない原野。
壊すものが無いうえ、主催者もやる気満々なのだから良いかと、一気にロープを切って暗い空に向けて離陸した。
100mほど上空にあがると、思ったよりも暗い。
遠くにパタヤビーチの夜景が鮮やかに広がっている。
いつまでも見ていたいが、仕方なく降下し地上20m程度をゆっくりと進む。
原野の中に道がうっすらと見える。
目が慣れてくると、月明かりは以外と明るい。
電線などがなければ十分飛べる。
「道脇の茂みに降りて、道まで引きずり出そう。」
と言うと、同乗のタイに詳しい友人は「毒蛇がいるし、活動時間になったので草むらは絶対無理。」とのことで却下。
さて困った。
草むらすれすれを飛びながら、すぐ横の道に寄せようとするが、平行して進むだけでなかなか寄せることができない。
しばらく飛ぶと、目の前に大きな木が真っ暗な中に、シルエットで浮かび上がってきた。
「ええい、ぶつけちゃえ」
速度もゆっくりだったので、そのまま木に体当たりし、気球ははじかれて道の上へ。
一気に気球内の空気を抜いて、狭い荒れた道の真ん中に着陸した。
それから、足下に注意を払いながら球皮をたたみ、チェイスカーから見えるようにバーナーを炊いた。
「バーナーの炎が見えた」と無線連絡があってから、かなりの時間を要して、チェイスカーが到着。
なんとチェイスカーは、ウニモグの軍用車だった。
クルーは勿論、タイ軍の兵隊さんで、手際よく回収してくれた。
離陸地に戻ると、離陸地ではガーデンパーティのディナーで大盛り上がり。
主催者、他チームが歓迎して迎えてくれたが、口々に「なんで、バルーングロー(ロープで繋ぎ、飛ばさないこと)なのに飛んでいったの?」
そんな、ばかなぁ〜。
フリーフライトだって、言ってたじゃない。


パタヤバルーンフェスタ、大会本番のお話

そんなこんなで、スタートした2008年のパタヤバルーンフェスタ。
翌日からの本番は朝から強い風が吹く中、何とか私のみが離陸。
翌日は、血の気の多いベルギー人が私の後追いで、2機がフライト。
3日目は多少風が落ちたものの、それなりの風が吹く中、ベルギーチームに後れをとって2番手で離陸。さすがに、人が飛んで行くのを眺めているだけの毎日に我慢しきれず、他の気球もインフレを開始した。
シェイプドバルーン(ゾウやダーズベーダーの顔など、いろんな形をした気球)が多かったので、気球が風で大きく左右に振られていく姿は、凄まじかったらしい。
幸いなのは、風が強いのは離陸地のみで、着陸はゆっくりしたもので、かつ、着陸地も広くて降り易い。

ファイナルパーティは、プールサイドでおごそかに始まったものの、カラオケでドラえもんを歌い踊り(なぜドラえもんのテーマで踊れたかは本人も不明)まくって、プールに服を着たまま飛び込む日本人チームの奇行で場は一転。
各チーム「ジャパニーズに乾杯!」と叫んで歌う、踊る、投げ込むという、ハチャメチャに楽しい夜で締めくくられた、タイはパタヤの大会でした。